日記及び生存戦略情報記載用ライフログ

日記及び生存戦略情報記載用ライフログ

生き方を変える

生き方を変えようと思う。

 

世間一般的な独身男性の生き方ってのがどうなのか?世間は多様化で一昔前よりはパターンが増えてるだろうけど、自分のこれからの生き方もどこかのパターンに当てはまるだろうか?

 

まず、できるだけ働かないようにしようと思う。

前の仕事で、いくら働いても、どれだけ頑張ろうとも、正直なにも残らなかった。

それには色々な理由があるのだけど、仕事を辞めた後で痛感したのが「無駄なおおよそ三年間だった」と言う感想。

そりゃ全てが無駄で何もかも残ってない訳でもないけど、自分が擦り潰れた割に何も残ってないのだ。早朝から終電まで時間を割いて通勤と労働をして、体の至る所が壊れても精神的に病んでも、自分の考えを見失って自分の生き方を見失ったことすら気が付かないような生活をして、そんな働き方しても何も残ってない。

 

沢山働けばお金が手に入る。けど、長時間働いてるとお金は貯まらない。

時間がないので食事を作れないのでコンビニや外食が増える。

短時間で楽しみたいので、お金で楽しみを買う。

お金があるから物は買えるけど、それを楽しむ時間がなくて放置する。

買えるものは取り敢えず買っておく、でもそれを使う時間がない。

 

物事の楽しみ方が麻痺して価値観がズレていく。

頭で考えていることと現実がズレていく。

 

働くことって何かが判らなくなる。なんのために働いているのか?お金の価値が判らなくなる。

 

だから決めた。できるだけ働かない事にする。必要最低限の 労働 で良い。収入は減るだろう、でも、たぶん、その分「豊かに心が戻れる」だろう。

 

ずっと心に刺さっている言葉がある。二十代前半に某自動車工場で働いていた時に六歳ほど年上の先輩に言われた言葉

「そんなに生き急がなくていいんじゃない?」

何気なく先輩が言った言葉で、人生相談ではないけど将来どうしようか?みたいな話ししてた時に言われた言葉。

 

自分はそんな生き方してないと思ってるけど、他人から見たら少しペースが早かったのかもしれないし、自分がそれに気が付けていなかったかもしれない。

その結果、どんどん加速していて事故になった。と言う考え方もできる。

 

悠々自適に生きてるつもりが「ぬるま湯に浸かっている蛙」だったようだ。

 

だから、今度はもっとゆっくり、じっくり「生きて」行こうと思う。

 

 

 

捕らぬ狸の皮算用

世の中、不要な事と必要な事の境界線ってのは、何処なのでしょうか?

 

自分という人間は過去に色々ありまして(過去に何もない人間も居ませんが)、考え方の一つに「「捕らぬ狸の皮算用」は無駄なので不要」と言うモノがありました。

 

特に三十代中盤、つい数年ほど前くらいから余計にそれが強くなり改めて考え直そうともしていなかった。

 

ここに書いたかどうか忘れたが、現在無職です。前の仕事は労働条件や環境や同僚に耐えかねて9月末に辞めました、仕事内容は別に嫌でもなく続けられるものだったけど、取り巻く環境がとにかく悪く、それの改善の様子もないし、何より同僚が人間としてとにかく性が合わない。すごく柔らかく書いてますが、かなり精神的にやられてしまい辞めました。愚痴はともかく、その状況(働いていた時)の中で、状況に流されてたこともあり、自分の考えを見つめ直すとか考え直す時間を作ろうともできなかったし、そこに考えすら至らなかった。

 

前置きが長くなったけど、捕らぬ狸の皮算用とは下記のようなことらしい。

 
まだタヌキも捕らえていないうちから、タヌキの皮を売って儲ける計算をすることから。 タヌキの皮は防寒着として、昔は高く売られていたらしい。 「算用」とは、金銭の額や物の数量を計算するという意味。 「捕らぬ」は、「取らぬ」「獲ら」とも書く。

捕らぬ狸の皮算用 - 故事ことわざ辞典

kotowaza-allguide.com/to/toranutanuki.html
 

 

 

 

 

 

 

 

当たり前だが、要はアホ言ってないで稼いでから考えろ、ということだという解釈でいいと思う。

 

個人的にこれを徹底しすぎてしまい結果的に「無欲」になってしまった。

実際はアレコレ欲しいとは思うものの、収支を考えるとそんなこと(欲しいものなど)考えるだけ無駄だと感じて物欲と現実がストレスになり、誰かに咎められている気分になってしまった。

 

私生活にストレスがある状況で、普段の思考の中でもストレスが生まれるってのは、もう逃げ場がなくなる。どんどん追い込まれてしまう。そうこうしている内に、やることなすことが全てが、中途半端で中身の薄い結果になり、それがまたストレスになり…。エンドレスワルツである。

 

で、無職・無収入になり時間だけはあるので色々考え、自分の内面を考える事に向き合えるようになって一つ感じたのが「捕らぬ狸の皮算用でいいやん」って事だ。

 

人間の原動力ってのは色々あるけど、今の社会に生きるってのは「消費と浪費」が人生の9割で、気がつけばその為に生きている。

 

「生きる為に働く」じゃない。

「得る為に働く」でもない。

 

「得る為に」とほんの少し違う「消費と浪費をする為に働く」に軸がほんの少しズレてソレが当たり前になってしまっている気がしてならないし、実際なっていると思う。

 

「目的が手段に~」だの「手段が目的に~」みたいな言い換えができるだろうが、それらの言葉でも、他人に自分の考えや感じ方を「言葉で伝える」のは難しいモノだ。

 

「アレが欲しいから働こう、いくら貯めよう!」ってのが、「いくらあるからアレを買おう」に変わり「アレなら変えるからアレでいいか」に気がつけば変わってしまう。これは結構微妙な差だし、生活が優先される中でごく当たり前の「選択」なんだけど、これが当たり前になると「本当に欲しいもの」が解からなくなっている事にすら気が付かずに消費と浪費を繰り返す。

 

自分では欲しい物を買っているつもりが、気が付けば手元に何も残っていない。お金だけ無くなっている。しかもソレは自身の経験にフィードバックもされていない。そんな状況の中で生活して生きている事に気がつけもしない。

 

妙ちくりんなことを書いているが、ふとそれに気がついてしまった。

そして至った考え方の改善が「捕らぬ狸の皮算用でもいいやん」って事だ。

 

消費と浪費も目的だの質だので、人生を変える。気がつかない内に、変な軸の方でクルクル周りだすとなかなか止まれなくなる。

 

だから、欲しい物を目的にして「捕らぬ狸の皮」を計算するのも、一つの方法じゃないかな。

 

 

 

 

 

 

ネットブック復活?何度目だ

バッテリーが死んでいたネットブックのバッテリーが復活した。

放置して完全に放電されて状況がリセットされたみたいで、やっとAC接続も認識するようになった。どうも中途半端に電力が残ってるとローバッテリーでロックされるっぽいので、常にACで使ってバッテリーを切らさないようにすれば問題なく使えそうだ。

 

モバイル環境に関しては「スマホ」&「ポケモンキーボード」で、家での入力はネットブックでやることにする。メインPCでネット動画だのツイッターだの見てると、いちいち切り替えて作業するのが面倒くさかったりする。手元で画面見つつ入力できるノートPCやネットブックの類は古来より重宝されている。不動のサブである。

 

復活したとは言えネットブックは不調と言うかUbuntuを入れてるが、動作が思いし不具合が多く出てくれる。別のLinuxを試してみよう。

 

 

 

歩くということ

今も昔も個人的に歩くのが好きらしい。

らしい、と言うのは。好きだと言い切れるかどうかのクッションなので気にしないでいただきたい。

 

自分は運転免許というモノを現在持っておらず、必然的に公共機関を使うか自転車もしくは徒歩が移動手段になる。そして現在自転車も持っていないので公共機関家徒歩という選択になる。

幸い、住んでいる所が名古屋市内で私鉄・地下鉄共に徒歩10分前後の立地で名古屋駅や栄・大須と言った繁華街へは乗り換えなし20分前後で移動することができるので不便がない。

ただし、名古屋市はバス交通網に偏りがありバスでの移動になると条件が悪くなり、名古屋駅から大須への移動など時刻表を見ると一時間に2本とか何処の田舎だよ!と突っ込み入れたくなる。

 

それはともかく、以上のことから移動は徒歩のことが多い。元々秋田という田舎出身で、歩くことには抵抗がなく、逆に愛知に来てからのカルチャーショックの一つに距離感がつかめないというものがあった。

よくある「こんなに近いのに駅がある!」とか「思ってたより遠いじゃん」なんてものだ。特に大いなる田舎である名古屋はその差が激しい。

 

それでも歩くのがメインな自分は徒歩1時間くらいなら平気で歩いて移動するタイプの人間だ。因みに家から名古屋駅まで歩くと約100分前後、大須辺りまでなら50分前後といった所か?前にgoogleMAPで時間を調べ実際に歩いたらだいたい上記と同じだった。歩く速度が平均速度なのだろうか?

 

見知らぬ土地を歩くのが好きな人は多いだろう、意外と長く住んでる近所でも、普段なぜか行かない方角なんてものがあって、そちらの方を散歩すると新たな発見があって楽しかったりする。

発見というのは非常に刺激的で日常を豊かにする。変化というものが刺激なのだろう。都心部に住んでいるお陰で店舗の入れ替わりが激しいといった意味では繁華街の散歩や移動も楽しいものだ。よく意味もなく大須辺りに出没してるのはそれが目的だったりするが、基本商店街は消費の場なのでここ最近無職になってからは足が遠のいている。

 

歩いている時、特に長距離移動の時に音楽を聞いたり風景や環境音を楽しんだり楽しみ方は色々あるが、個人的には考え事をすることが多い。どうも考え事に集中するときは、歩いている時の方が効率が良いらしい。問題は考え事が纏まっても、その場で記録するものがないと馬鹿なので忘れてしまうことだ。なのでスマートフォンが非常に便利。それでもメモ帳と筆記具はできるだけ持って歩くようにしてるし、できるだけ考え事を一旦落とすときは紙にペンで書くというアナログの方が性に合っている。それか考え事や思った事を、その場でデジタルに上げるのを好いている。

 

今、これを書いていて自然と「アナログに落とす」と「デジタルに上げる」と書いたけどこれはなんだ?自分の中で非常にしっくり来た言葉だ。自分の中ではこうなんだとなんか納得した。

 

そんな訳で健康がどうだの生活の習慣がどうだの抜きで、歩くのは好きで性に合っているようだ。歩いた後で地図を見たり遊びに行った場所や店を記するのも好きだ。だからBlogもそういう方向でやってれば良いのだろうが、Twitterを使っていると、どうもそちらに書いたことを二度書くというのが手間に思えてBlogから離れてしまう。人間低きに流れる楽に逃げる。自分も人間なんだと思う瞬間である。

因みにこの文章はスマートフォンポケモンキーボードで、区役所に片道45分かけて移動し用事を済ませた後の帰り道「マクドナルド」で書いている。

帰りは用事がないのでチンタラ歩けるのがまた楽しみだ。

 

 

 

【冷蔵庫】いい機会なのでチャレンジをいくつか。【いる?】

 

 九月の末に仕事を辞め、現在無職求人中だったりする。

あ、トリック・オア・トリート。

 

せっかく金はなくても時間がある時期なので、いくつかトライアルというかチャレンジしてみようと思っていることがある。

 

第一弾「冷蔵庫なし生活」

電気代の節約と言う話だけじゃなく、食生活において少し思う所があるので10月31日より冷蔵庫の電源を落とす。

これにより、生鮮食品は基本購入からその日の内か持っても2日間で消費してしまわねばならない。冷凍食品の及び冷凍保存も不可能である。

これは本当に不便なのか?実は現代社会において冷蔵庫って要らないんじゃないか?既に生活三大神器なんて言われてた家電は実は絶滅してるんじゃないか?いや、冷蔵庫はいるだろ?なんて論議は別として、飽食・飽物の時代において都心部にいればコンビニエンスストアでいつでも食品が買える。スーパーに行けば新鮮な生鮮食品は手に入る。独身男性が生きる上で冷蔵庫ってのは毎月電気料金払いながら、一般家庭に置ける電力消費の14%前後をアテておくだけの価値が冷蔵庫にあるのか?そして、冷蔵庫のない生活で「自炊」を続けていけるのか?非常に興味を持ったので実験実証してみたい。

 

ルールを設ける。

「基本自炊」「コンビニ弁当禁止」取り敢えずこの2点。

コンビニ弁当禁止は自炊し検証するのが目的なのと、単純に金も無いからである。自炊スキルが有るのにコンビニ弁当食ってたら、それこそ無駄遣いである。弁当1つ平均500円、500円あれば上手くやれば4食は食える。

 

現代社会の食生活において個人的に1日3食は食べ過ぎだと思っている。正確には適量を3食であれば適度かも知れないが、今の世の中何度も記するが「飽食社会」で、必要以上でバランスの悪い食事が日常化している。栄養の偏った食事を3食も摂っていれば体を壊す。痩せるものも痩せないし太りたくても太れない妙ちくりんな状況に陥るだろう、いや陥っている。

 

その原因ってのは「肉・油」の過剰摂取が一つの要因じゃないか?と思っている。日本人の食生活の歴史を見ても長いこと肉に疎遠な社会がここ50年でいかに激変したか?戦後70数年だが、一般的に食生活が今の体系に落ち着いたのが50年位前じゃないか?その歴史や食文化事態に文句はない。むしろバンザイである。だけどどうにも日本人の体質ってのはそれを長く続けれないんじゃないか?いろんな要因があるが個人的にそう感じ、考えに至った。故に単純に冷蔵庫のない生活である。保存できなきゃ適量を炊事するしか無いだろう?沢山買ってきて一気に作っても食べきれずに悪くするのも馬鹿だし大食いして具合悪くするのも馬鹿臭い。特に40歳手前の自分のようなダメ人間には色んな意味での大ダメージである。若い頃なら1Hitで済んでいた攻撃が今は3Hitくらい喰らうし継続ダメージ付きである、色んな意味で。

 

そんな訳でどんな訳か、冷蔵庫の電源を落として自炊生活をしてみる。期限は特に設けないし必要が出てくれば冷蔵庫も使うことになるだろう。今考えている他のチャレンジにはどうしても冷蔵庫が必要になりそうなものもある。まぁその時はその時だけど。

 

あと、6畳一間フローリングの部屋において、よくある2ドア冷蔵庫の電源落とすと

 

すごく静かになる。