日記及び生存戦略情報記載用ライフログ

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辞書を引くと言う行為が不足した結果www

■ ここ数年、オンラインや携帯電話などの辞書機能に頼りすぎな生活を当たり前にしている。あ、タイトルは最近の「まとめサイト」の真似してみた。

普段の生活上において、何か判らない言葉や文字があると、とにかくネット・携帯で調べる。正直便利すぎる、便利なのだよ。日常生活において判らない漢字は検索したら即出てくるのだ。昔は重たく分厚い辞書で引いた事なのに。

そうそう、辞書を引くという言葉も最近使わなくなった。と言うか、もう辞書なる物を手元にすら置いていない。昨今マスメディアの大好きな言葉である「若者の○○離れ」である。マスメディアよほれ!食いつけお前らの好きな「若者の○○離れ」だぞ!なぜ?食いつかないのだ!!考えてみれば教育的にも結構重要な事じゃ無いのか?

最近考えることが増えた。ネットの無い時代を自分は経験しているはずなのに、もうネットなしでは生きていけない。依存だ!中毒だ!ジャンキーだ!変態だ!ちなみに俺は女性に依存しやすいので簡単に恋をするのが怖い。全く本筋と関係ない。だからこれから先、もう恋なんかしない!・・・失礼。これから先はデジタルガジェットとインターネットのインフラに依存して生きていくのであろう。そして、いざペンで紙に文章を書こうとして判らない漢字が出てくると、携帯電話やパソコンでちまちまと調べるのだ、そしてそれを繰り返す。繰り返す?なんと非効率的なことであろうか?同じ文字を人生の中で何度も繰り返し調べるのだ。僕は何かそういう病気なのか?物忘れが酷くなる症状のそういう種類の病気なのか?

子供の頃、小学校に入る時に教材として国語辞典と漢字辞典を購入した時のことを思い出す。学校指定の物があれば、それを購入するのだろうが、クラスの大半が同じような辞書を持っていて自分だけ違う辞書を持っていたことに疑問を持っていた。うちの親は何故か一括購入やら学校推奨という物を完全無視していた気がする。母親は「辞書を一度引いて覚えれば知識が増えるからどんどん辞書を引け」と教えてくれた。そのせいか、中学あがる頃には国語辞典だけで3個持っていた。勉学は嫌いでも本を読むのも辞書を引くのも好きなタイプの少年だった。それだけ辞書を愛用していたのに、気がつくと辞書を持ってすらいないのである。きっとこれは何かの陰謀かもしれない。

辞書を引くということは、その言葉の意味と形を覚える事だと思う。先に書いたように私の母親は「「辞書を一度引いて覚えれば知識が増えるからどんどん辞書を引け」と教えてくれた。実際辞書を引いた言葉は漢字を書き間違えることはあっても、意味は結構覚えている物だ。デジタルガジェットで毎度繰り返す漢字の確認行為とは違う、何故か覚えるのだよ。

そういった経緯で現在私は「辞書」が欲しい。国語辞典があれば十分だろう。持ち歩けるサイズの国語辞典、三省堂の「デイリーコンサイス国語辞典」辺りが良いだろう。中学の時、実際持っていた一冊がそれだった。「三省堂ポケット国語辞典」でも良いかもしれないお手軽だし。

国語辞典なんて、普段使う分には多少古くても問題なうだろう。後で古本屋で探してみよう。とか思ったけど、最近の学生は電子辞書を購入するという話を思い出した。個人的に「電子辞書」と言う物へのイメージは「老人向け」「無駄な百科事典付き」「使おうとすると見当たらない」「通信販売の定番アイテム」「ジャパネットたかた」と言うイメージが強い、特に「ジャパネットたかた」はもう社長の顔とトークが鮮明に想像できてしまう。ある種の洗脳だ、これはいかん。

電子辞書の個人的なイメージは

これ、このタイプ。どうもこのタイプのイメージが強いんですよ。ぇ?イメージが古って?古いんですかねぇww

冗談さておき、ちょっと調べてみたら色々と出てるんですねぇ。カシオとシャープが多いのかな?

これくらいの程度ので良いのかな?とか思って調べてみると、この程度のレベルで十分らしいけど、上のクラスだと更に便利!とか何とか…キリが無い。

やっぱり紙の辞書を引く習慣を、個人的には取り戻そうと思う。なんだかその方が自分の身になりそうだよ。